WEB2以降の漫画の公開・流通の姿について

2010年頃を堺に急速に普及したSNSとスマホによって、漫画の公開の在り方は変わっていった。何が変わり何が変わらなかったのか、自分がどう対応していくのかについて書いてみる

まず、漫画を読んでもらうということはどういうことだったのか
たくさんの人に読んでもらいたければ、昔は作品を本にして出版流通に乗せる必要があった
制作し、編集し、印刷し、輸送し、書店に並べ、買ってもらい、そして読んでもらう
印刷技術、道路、車、書店や倉庫、様々な要素が読者と作者の間に必要になる
そこには膨大なコストがかかるシステムが存在し、個人では気軽にやりたいことをやれない
ある意味、多くの人は(読者も作者も)仕方なく出版流通に期待した
一方、インターネット以降、サーバマシンにプログラムを稼働させて作品データをストレージに置けば、「読んでもらうため」の作者〜読者の繋がりはつくることができた。極論言えば維持費も電気代だけですむ。とはいえ、90年代のインターネット普及の時期に一般人には大々的に普及が進んだわけではなく、このような繋がりはまだ現実的ではなかった

SNS普及以降、個人ベースでの繋がりは漸進的とはいえ進んでいった
それだけで「食って行ける」と言うにはまだ十分ではないが、それでも今はだいぶ規模は大きくなってきている。読者も作者も、膨大なコスト負担をして作品を読みたい・読んでもらいたいとは思っていなかったのは間違いない

こうなってくると、出版流通や即売会はどうなるのだろう?
SNSもまた不穏と混沌は収まらない

web2世界のもっとも強い柱となっているのは広告費をベースにしたPVあたり報酬というモデルで、これが混沌と不穏の元凶ではある
呪いも称賛も、或いはほとんど無関心のままから騒ぎに参加するエネルギーも一緒くたにして、PVが多ければ「広告効果がある」と言い張る。これはやはり「ペテン」だろうか?
web屋は自分たちの技術が(いつか)この混沌を解決する、と言いたげではあるが変化はない

この混沌に愛想をつかした人たちがSNSや漫画サイトを離れて直接作者と読者のつながるプラットフォームに移るモチベーションになっているだろうか?
ひとまず、自分はこのプラットフォームの力に期待しているがまだどうなるかはわからない

出版社と即売会は作品を読んでもらうための環境の提供者ではなくお祭りイベントの主催になろうとしているようにみえる。両者は形はだいぶ違えどほぼ同じところに向かっているようだ
作品を神輿のようにして担がせ、騒ぎ、消費する経済。とはいえそのようなものに期待する人が大勢いるようにはやはり思えないので、過去と比べればだいぶ小粒なものになっていくと予想する

コミケは終わった、的な意見はどうなのか
自分もそうなのだけど、イベント参加にはだいぶ及び腰だ
SNS普及以降、即売会は人が増えた。イベントお祭り好きの人たちがソーシャルを経由して流入したからだ。これに加えてネットを主戦場に移行しようとしていた人もイベント参加し続けていた、これは過渡期だった。両者が即売会に居たので人の数は多かった
そしてコロナ禍がやってくると創作をしたい人たちはネット上を主戦場にするようにせざるをえなくなった、WEBがまだあまり良くない場所だとわかっていても。
コロナ明け以降、お祭り好きな人たちはイベントには行くことを再開したようだが、作品との出会いを即売会に求めていることはなさそうで、本はあまり買わないのである。そして、ネットを主戦場に仕切り直した人は再びイベントに目を向けづらい

この変化はかつてのアーケードゲームの変化を思い起こさせる
対戦格闘やSTGを家庭でやれるようになったのでゲームセンターから人が離れ、プライズゲーばかりになっていった。人の集まる空間が好きなイベント好きの人がある程度残ったが限定的だった

この先行きは不透明だ
即売会と出版社の「お祭り化」がどこまで進むのか、SNSが改善するのか或いはまだ酷くなり続けるのか、新しいプラットフォームがまだ登場するのかも