エンタメと夢物語について

webの普及と紙媒体の衰退、SNSの隆盛と個人依頼によって、自分の漫画制作の領域を俯瞰する姿は大きく変わってしまいました

それにつれて漫画というものが持つエンタメ性と夢のあり方が変わっていきました
今回の記事では、そのことについて

エンタメとは何か、エンタメの価値とは何か、と問うと千差万別の答えがあると思いますが、ひとまず自分としては「楽しい」ということが言えるでしょう

もう一方の軸、夢物語、これは人がみたい「世界」ということになるかと思います

ここで両者が両立している、というならその漫画は「読者がみたい、楽しい世界」となります

残念ながらこれは理想の話で、現実はあまりそのように両立している作品は少ないように感じます

漫画を商業的に成功させるなら結局のところ「楽しい」という部分を重要視されるようになっていきます。根本的に、人の趣味嗜好というのは千差万別で一つにまとめ上げることは簡単にはいきません。「誰がどんな物語世界を望むのか」を知るすべすらあるとは言い難い。

しかし、「楽しい」を人工的に作る方法が一つあります

お祭りにして、「沢山の人を集める」です

人が大勢いれば気持ちは高揚します、お金を持ってなくて気分が下がっている人はスカッとするために、お金を持っているひとはパーッと使ってしまうために、お祭りに来てお金を落とすので、景気の変動にも強いです。数値化して管理ができ、統計分析も可能です

ではどうやって人が集まるのか、その一つが「目立つ」ですね

「目立つことで人を集め、人が集まることで楽しい」、これが現状のエンタメの戦略です

目立って人を集めていることは、PV数やフォロワー数で、(SNSという空間でですが)これもまた数値化されています

WEBの時代にあって、この戦略がほとんどテンプレに近い形で回っているように見えます

では何が「残念」なのか、というと、目立つためならなんでもありで支離滅裂としている作品が目につくようになってきたということです

とりわけ日本の作品はその傾向が顕著なようで、僕自身はあまりいまの日本のエンタメ作品をみなくなっています(海外がなぜそれほどの極端な方向にむかっていないのかはわかりませんが、少なくともマイルドではあるようです)

個人依頼はそういう点では、「大勢」である効果に期待しない自分だけの夢物語の世界です

個人依頼がこれだけ伸びてきたのは、エンタメが「目立つこと」に極化しすぎて夢物語であることを放棄しすぎたのではないか、と僕自身考えることが多いのですが確たる証拠とよべそうなものはありません

ひょっとしたら両者は遠心分離機のようにして分離していくものなのだろうか、とも考えています