秘神島の連載

離島を舞台にした話で、制作中いろいろとブレてしまって良い出来にはならず
受けがよかったわけではなかったけども、この作品は自分にとってかけがえない経験をする作品になりました

前の憧れと違い、反応はよく無さそうだ、と描いている途中悶々としていました
多分、この漫画がうまく行かなかったら商業漫画は辞めてしまったほうが良いのかも、とも描いている途中で考えていました
正直、どんよりとしていました

ふいに、3話目くらいを描いた頃に、イメージしていた離島を旅したくて三重へ旅行へいってきました
そこは日に数回の定期船のみを交通手段に持つ、小さな島でした
過去には観光で人を集めようとしてたけどもそれらの名残を残すだけで寂れていて
来るのは釣り客ばかりといったところでした
島は一周4kmくらいか、すぐに歩き終わってしまいそうなので、途中で座ってあちこちスケッチをしたりしていました
取り立てて珍しい自然があるわけではなかったのですが、見渡すと右も左も海という風景は、小さな島がまるで
船のようで、自分が生きてきた違った世界観を感じさせてくれました
町は島の斜面上に建てた家が並んでいてどの家も鍵をかける習慣もなく開けっ放しになっていました
泥棒の心配なんてないのだろう
まるで、島全体が一つの家族のようにしているようでした

この素朴な場所で、もう1日くらいここで過ごしたいと思い、素泊まりの宿を当たってみましたが、空きがなく
残念な気持ちになって帰りの定期船の便がくるまで砂浜で待つことにしました

砂浜にでると日の光でキラキラ光っている、きれいな海の風景が見えました
その姿は写真にも収めても感動を伝えられないほど、綺麗な風景で、言葉にも、絵にもできない自分がいました
「こんな芸術があるだろうか?」
旅行者らしき人は他に二人ほどが砂浜に歩いているだけ

こんな素晴らしい場所があるのにもかからず、さほど面白くもない、作り手側の利害や都合という手垢の付いた観光地やテレビ番組や漫画をみて皆は過ごすのだろうか
あるいは自分は過ごさせようとしていたのか
あんなのにお金と時間を使わせるくらいなら、みんなここを見に来ればいいのに

ああ、そうだ、娯楽なんて、その程度なのだ
もし今の世の中から、人の手で作られた娯楽というものが全て姿を消してしまったら
海を眺めたり雲を数えたりして過ごすだけだ
そして、実のところそのほうが、ほとんどの人間にとっては幸せなのではないか
僕らは間に割り込んで、無理やり余計なものを見させてるに過ぎない

その瞬間に、全てが楽になりました
自分で、自分にかけていた重責みたいなものが吹き飛んでいきました

作品作りは、その後は結構ノッて描いていたつもりですが、初手で伸び悩んだ分は解消はされませんでした
しかし、以降、自分が作品作りのために、自傷するように自分から心を締め付けることもなくなりましたし
用もなく雑巾絞りみたいなことをしてくる輩と関係を断つことにもためらいがなくなりました
自分は、作品作りに、自由を得たのでした

憧れの女の商業連載と単行本

連載時の反応は良かったようで編集さんもそのことを伝えてきたりしていました

当時はわからなかったのですが、編集者というのは調子が良ければあれこれ喋ってきますが
そうでなければ、何も言ってこないか、仲が悪くなるもののようです
自分は良いときでも悪いときでも、改善はあるべきだしそれがよいパートナーシップなのでは、と考えていました
リテイクは作品をよくするのに必然、とか、直したのだから良くなるのは当然、とか
そのためには正しい知見が必要、とか
最初に読者の目となって言葉を発してくれるのは編集者しかいないのだから、とか

これが大きな誤認と気づくのはずっと先のことなのですが、当時はそのことでナーバスになっていたと実感はあります
アレコレ注文つけてもつけなくても、実のところあまり変わらないのですね
出版社はある種の投資家みたいなもので、お金を出すかどうか決めるだけ、そのための説得力のあるものを用意して
説得したらあとは作品をつくるだけだ、と
アレコレ言葉をやりあう部分の殆どは、改善というよりは政治的な意味合いのほうが大きい
言葉のやり取り次第で、上下関係やそのひとの出世に影響しうる
でも当時の自分はそのことを意識しておらず、憧れの女の単行本を出す際に生じたリテイクの結果
表紙はむしろ悪いものになり、(アンケートは結構良かったのにもかかわらず)売上が出なかったのでした

残念な結果に終わった、と感じていましたが
直感とか即売会で声をかけてくれていた読者の言葉から感じていた肌感覚で、これはこのまま終わらせては
いけないのではないか、とも思っていました

近況

12月から忙しくしていました
憧れの続きは、書き続けていて、つぎのやつは60Pくらいになりそうです
だいたいほとんど作業は終わっています

blogに書き続けていた自伝みたいなものの続きも再開します
憧れの商業連載のときの話の、続きから

エンジニアの仕事を再開した感触は、悪くはないです
いや、普通に良い方なんだと思います
向いているか向いてないかで言えば向いてる方なんだろうし
売り手市場の今のIT業界は漫画とくらべて実入りの良いことは否定できません
まぁ、お金儲けがしたいだけってならもともと漫画なんて選択肢にならないと思うけど

今の同人原稿が片付いたら商業仕事を探しに行こうとも考えています
面白いこともやれたらと思いますしね

久しぶりの更新

しばらくエンジニアの仕事傍ら合間に原稿描いたりしていましたが
4月から別の会社に移り(正確には3月からちょこっとはいってましたが)、時間の余裕が作れそうです
イベントには出ていく方向で

はじめての単行本のときのこと

はじめての単行本を出した時のことはだいぶ忘れているのですが、思い出しながら書いています
その時の編集さんはKさんという方で、成人向系の漫画編集には珍しく、研究熱心なタイプでした

水商売の人に聞くと、ほとんどは特に研修なんてものもなく、いきなり仕事場に放り込まれるそうです
何をやれば受けるかは自分なりに研究したり、AVやらなにやら見て模倣したりして学ぶ
手ぶらのまま適当にやって、人気の出ないまま業界を去る人も多いとか
成人向けの漫画も似たりよったりで、多くの人はそんな感じですし、ぼく自身も納得はしていました

成人向け表現には、そのための学術機関があるでもなく、権威のある人がいたりするわけでもない
正しい知見があるかどうか裏付けるもののない世界ですから、当然といえば当然か、と
一般漫画なら文学部出身の人とか、イラストレーションなら美大出身の人とかが、学歴とか学識として役に立つ
と考えられうるのでしょうが、エロにはそういうのはない

それでも、研究熱心にしてるということは、雰囲気づくりには良い影響があったのではないか、と感じてはいました
Kさんはどちらかというと「やんちゃ」な漫画家を好んでいるようで、ぼくは長い付き合いにはならないだろうな、
と当時考えていました
雑誌の中では、割と前のほうに推されてる感じで、掲載は悪くなさそうでした

残念なことに、単行本を出す冬の時期に、体調がひどく悪くなり、戻らなくなりました
冬の始まりのころに風邪を引くと、その後、春先まで席が止まらなくなるのです
医者に行っても、原因がわからないままでした
これはその3年後に川口にある耳鼻科の先生のところで治してもらうことができました
冬場に発症するアレルギー性鼻炎、とのことでした
春先に収束していたのは花粉症対策の抗アレルギー薬が効いていたためなのだとわかりました

単行本自体は冬に出て、知り合いの評判は良さそうでした
赤字ということはなかったと思いますが、増刷はかからなかったようです

当時は病気の原因がわからないままで、無理をしすぎてたツケが回ってきたのかもしれないので
無理をしないよう、体調を守るようにしなければ、と考えるようになっていました

個人の時代

東方の界隈はとても賑やかでした

当時の即売会は、大抵早い時間に大手に人が群がり、買い物が終わると
さっさと皆帰ってしまうような場所でした
サンクリくらいの規模だと12時くらいにはもう閑散としていて、13時くらいにはどんどんサークルが
帰っていくので空いてるブースがまばらに出来る状況でしたが、
例大祭では殆どのサークルの本は売れていて、嬉しそうにしていました
音屋の人たちの音楽もBGMとして使われていたので、耳の面でも楽しめる空間ができているようでした
東方とついていれば何でも売れるような状態だったのかもしれません
みな明るい顔をしていました
皆が皆お互いに作品を認めて楽しんでいるようでした

当時の編集さんに話したら、「バカバカしくて商業なんてやってられませんね!」と言われてしまいました
自分もこの波にうまく乗れていればもっと良い状況にまで進められたのかもしれませんが、残念なことに次の年の
本で酷い写植ミスをして、それが1種類の本の即売会で売れた分の最大記録になりました
1050部くらいだったと記憶しています

今振り返っても、不思議な状況でした
委託書店が規模を拡大していっていたこと、インターネットの普及で出版社を通さない作品作りが都心部のみにとどまらず
地方にまで届くようになったこと、東方という作品が二次創作をしやすかったこと、漫画やゲーム、アニメの洗礼を受けた人たちの多い世代だったこと
いろいろと理由が重なったのかもしれません
企業に縛られることもなく、クソガキの王様みたいなのの下で働かされることもなく
どこかでいつか自分も自分の創作物でタイプムーンや上海アリスのようになれるのでは、と期待してもいるような
個人の時代の始まりを謳歌してるようでした

東方との出会い

東方との出会いはよく覚えていません
当時タイプムーン関係のIRCチャットの部屋にいたときに誰かが東方の話をしていたのが
知るきっかけだったように思います
「斬れるものはあんまりない」とかだったかな

STG自体は好きだったので買ってプレイすることにしました(下手だけど)
東方妖々夢をクリアまでやって感動していた自分がいました
個人でここまでやってる人がいるんだ、すごい、って
多分、年下なんだろうな
対して自分は一体何してるんだろう…
羨望と、信仰みたいな気持ちが入り混じったものがありました

杜撰な編集者にぶっ壊しレイプを描かされて、関係を絶った後
商業仕事の経路は全て絶たれていたわけではなかったのですが、それでも
凹みに凹んでいた自分は、ほそぼそと好きな二次創作をやってやっていこうと考えていました
実のところ、東方がどれくらいブームだったのかは、その時はよく知りませんでした
(自分はそのあたりのリサーチはもともとかなり弱いのですが)
流行りに乗る気もなかったし、乗ろうとしたところで実際売れないだろう、と考えていました

驚いたことに、一番近い時期のサンクリで幽々子と妖夢のコピー本を出して、行列ができました
次のコミケットSPでは壁サークルになっていました

治験に参加したときのこと

少し脱線する感じになるけど、治験に参加したことについて書きます
治験というのは健康な人に参加してもらって薬の効果を確めるというやつで
謝礼にはなかなかの額がもらえます

アシスタントやめてから、成人向けの商業漫画をはじめてちょっと経つまでお世話になりました
ほとんど何もしなくてもお金がもらえる、といえば美味しそうな話のように聞こえるかと思います
病院で過ごしている間は暇なので絵を描いたり話を考えたりできるな、とはじめは考えていたのですが
高額のものは長期に入院する必要があり、かといって短期だと「これなら、バイトしてたほうが…」という
ほどあまり貰えない感じだったのです
事前検査があり、健康である人を選別するのですが、ハードワークに原稿作業してるとあっさりと落ちてしまいます
結局漫画描きにとってはあまり相性がよくないな、と思い、使わなくなりました

だいたい参加者は暇そうな大学生、20代なかば以降の人はほぼいませんでした
そういった人たちのなかには、テレビのADをやってた人とか、音楽をやっている人とかがいて
ぼくはお仲間みたいな感じで話すようになりました
今はソーシャルな環境があるせいで、異なる業界に人たちと繋がる機会がありますが、当時はそういった人たちは別世界の人で
ひどく新鮮な感じがしました

音楽CDを2枚だしたけど売れなかったらしい人、バンドをやってて結構イケメンでした
バンドといざこざあって別れて、スタジオミュージシャンを目指しはじめた人
オタクで歌手を目指しててアニソンが上手かった人
音楽関係者は多い気がしました

隣のベッドにいた人は少し年上のテレビ業界の人でした
葉加瀬太郎みたいなもじゃもじゃ頭の長身
彼は漫画に関しては詳しくなさそうでしたが、ジブリアニメは好きみたいでした
いつもオーバーアクションで、単身インドで旅行してきたといっていて、病気にかかって死にそうになったことや、
英語の通じない田舎に行って放浪した時もノリだけで乗り切ったこととか、ネタに話していました
音楽やイラストと違い、そっちの世界の人間はスキルが武器ではないので、自分自身をネタにすることを信条にしているようでした

今思えば、彼とはもう少しつながりを持つべきだったのかな、と後悔もあります
漫画はツールやネット環境での情報共有によってハードルがどんどん下がっていっています
技術が武器にならなくなるなら、学ぶべきはこういった人からだろう、と

成人向け漫画の挫折

成人向け漫画を1誌で受けることに不安を覚えていたぼくは別の出版社でも仕事をやるように決めました

編集者はフリーの編集者で、決まったので描いてくれ、という話になりました
レイプモノの専門誌でした
当時はレイプものが流行っていて、そういうものだけを集めた雑誌を作るようでした

嫌な予感がしました
それまで平穏なテーマをベースにゆるい一般向け漫画とエロ漫画を始めていた自分にとっては、おかしな組み合わせのように思いました
一般誌でも、ファンタジーアクションが描きたくて持ち込みしたのにラブコメを描くように誘導された人とかも知っていたので
その類かと思いましたが、何かが違っているようにも感じていました

今でこそはっきりと言えます

エロの読者は急激な方向転換を嫌う

この人には成人向けの編集をやっているけど、「エロの知見」がないのだろうか?
いつも自分のコネのことばかり話している
一般の人気作家の上京を手伝ったとか、ナントカさんと知り合いだとか
その割に、「今の若い人の流行はさっぱりでしてね」とか言ってる

ラブコメを担当している編集者はラブコメに詳しく、スポーツ漫画を担当している編集者はスポーツ漫画に詳しい
それまでつきあいのあったゲームアンソロの編集をしている人とても、少なからず二次創作がどういうものか知っていると認識していましたが
この人は違う、と感じました

ぶっこわしレイプはぼく自身嫌いでした
しかし、そのことよりもイメージ作りってものを蔑ろにしている点がずっと心を痛めました
これまで、少ないだろうけど、ぼくの作品を気に入って応援する気になってくれていた人に対してどう顔向けする?、と
それでも3本描き、その後は「貴方とは仕事はしない」と言って自分から関係を切りました

後で知ったことですが、その編集者は以前はグラビアの仕事をしており、その後はまた成人向け漫画とは別の編集業へと
移っていました

編集者は担当しているジャンルに知見があるとは限らない

ちょっと考えればあたりまえのことでした
クソガキの王様みたいな漫画家と同様、資格もなければ権威も学術的研究もされていない世界なのですから
誰でもなることができるということは、その人にとっては夢でも、共に仕事をする人間には大きなリスクとなりうる

編集者が原稿を受け取らない、といえばそれは本には載りません
そういう絶対的な権力がある
にも関わらず、その編集者が知見をもっているとは限らない

できるだけ早い段階で、資質を見抜く必要がある、と考え、
スパムフィルタのようなチェック機構を自分の中に作るようにしました
結局その後10年、そのフィルタが発動することはなかったのですが、ともかくもそれをきっかけに自分の中には
ひとつの安心感ができているようでした

しかし、一般漫画づくりに対しても、成人向け漫画づくりに対しても
その時の自分は完全に凹んでいて道を見失っていました

これからどうすればいいのだろう?