イラスト生成AIについて

ざわついているイラスト生成AIについて、現時点での自分なりの見解をまとめたいと思います
以前にもAIについて書きましたが、今回はイラスト生成AIに限った内容です

先に結論として自分のスタンスを言ってしまうと、「自分は反AI勢力にも与しないし積極的にAI絵師サイドを支持もしない」つもりです

様々な要素が複合しているため、簡単な話ではない
要素ごとに自分なりの認識を記述していきます

技術と法

モデルデータの作成にはイラストのデータが必要であり、その収集にスクレイピングという手段が用いられます
反AI派の意見を汲んで対処するのであれば、
+ モデルデータを検閲する
+ 自動収集に対してSNS側ができるだけ防衛する
ということになると思われます
検閲に関しては現行法的に難しそうです
権利者が声を上げ、データセットから削除するよう要請しなければなりませんが、権利者がデータに含まれているかわからなければ行動は起こせないですし、非営利・研究目的のデータ収集は合法の範囲です
こうなってくるともうここは政治家の人たちに法を定めてもらうよう動いてもらうしかなさそうです(落とし所にどうするのかは先の話でこれについては保留にします)

自動収集を完全にゼロにはできませんが、程度の低い人達が気軽にデータ収集してしまえないようにすることである程度の抵抗にはなります
とはいえ、スクレイピング対策にコストを払う意思がpixivにあるかどうか、ビジネスとして見合うのか、見合わないなら対策しないのもやむなしか、と

絵師と絵師でない人とSNS

SNSとスマートフォンの普及以降、色んな人が創作に参加してきました
プラットフォーム事業者というのは無闇とユーザ数を増やそうとするものです
これまで絵や話を作れなかった人たちが生成AIを用いて参加してくるとして、それをpixivのような会社が歓迎しないとは考えにくい、現行の既得権益者を差し置いてでもというのは必然の流れだと自分は思います
人口は間違いなく多い

また、自分は様々な個人依頼の経験から言っても、そういった人たちのモチベがとても強いものだというのを実感してもいます
惰性で作品を作り続けているような作家たちよりずっと強い念があるのです
ダーティな人が注目されたのでAI絵師を嫌うひとも居るようですが、
そういった人たちまで巻き込んで弾圧はあってほしくないなというのが正直な気持ちです

絵師の神格化、宗教的な側面

自分は作家を神がかったものとして認識することにあまり実感はありません
ただ、SNSを見ているとどうにも彼らに宗教家のようなものを感じています

自身の権威と神格を育て、信者から奉納金を得る、神絵師として…
信者たちにとって、AI絵師は神の冒涜者なのかもしれません

作品非公開等によって企業側に圧力をかける姿勢は、権威と神格のために権力者に絡みつく古い時代の神父・司祭達の振る舞いのようにも見えます

期待されるテクノロジーでもありますから変な形に決着してほしくはありません
「手間をかけて作ったものが尊く、手間をかけずにやったものは悪い」という風潮も改善の機会だと思います
非効率な働き方の社会の改善に向けて、どう決着がつくかは一つの分水嶺だと注目しています

イベントについて

イベントの規制も撤廃され、世間的にコロナ明けの雰囲気が作られようとしている感じがあります。しかし、どこかどんよりとした雰囲気は引きずっているようなでもあります
(実質的に解決したわけではないのですから当然なのですが)

一旦、ここでイベントについて今の自分の考えをまとめて書いておきたいと思います

まず自分の作品作りの周辺については、コロナ禍の時期を通して個人依頼とFANBOXでのサブスク支援下での創作でほぼ埋められていたという状態でした

これはどちらかというと「有り難い」状態でもありました

というのは、個人依頼は依頼者(読者)の念によって、FANBOXでの作品は制作者の念でほぼ作られるからであり、とても純度の高い状態でした
一方では、即売会や委託販売・商業出版物というのは事業者の影響があります
必ずしも自分の作りたいという思いの純度の高い環境ではないわけです
集中と選択の起きやすい環境でもありギャンブルな性格も強いです
イベント参加費をはじめとした諸費用も重く、中間業者のマージンも軽くありません
買いに行く人にも多くの負担があります

ITが普及していない時代には仕方なかったとはいえ、グローバルな視点で見れば印刷物はやはり読まれないものになりつつあるのであり、「そこまでしてあの世界に戻っていかなければならないのだろうか?」という気持ちが正直あります

同人誌はすでに大衆消費の領分にあると自分は考えるのですが、「大衆消費」とはなんでしょうか?

安いこと、沢山の人が同じものを消費し気持ちを共有すること、手軽であること、必ずしも個人が欲しいものではないこと、ある程度の信頼性があること、よくわからないオジサンが無責任にヤジをとばしてくること、その流通のためにインフラとプラットフォームに多くのお金がかかってきたこと…

「ハレの日の雰囲気」の楽しさは代えがたいという人もいるのもわかるのですが

もう一つ、考えてることが「あおり」についてです

「扇動と扇情」、ソーシャルとスマホの普及の影響でしょうが、そのような特徴の強い作品が多くなりました。SNSから広告、政治に至るまで「煽り」に満ちていたと思います。そして、「煽り」はイベントととても相性の良い組み合わせでした

しかし世間の多くの事件を経て「あおり」はただの「害」だったのでは?とそう感じるような時代に移っていっているように感じてもいます

イベントが戻ってくるにしても「扇動」に満ちた空気のイベントは戻ってきてほしくないな…、というのが正直な気持ちです
とはいえ、イベントはやはりそういうものであろうとし続けるとは予想します

なのでイベントが本格的に再開する方向でも、これから先も自分は「サブスク支援を起点」とするスタイルは続けますし、イベントを優先度を上にすることはないでしょう、個人依頼もまたイベントより優先します


“今のAI”について

自分は機械学習に基礎をおく今のAIをAI(人工知能)と呼ぶのは好きではない
およそ「知能」と呼ぶには相応しくないと思っている
なのでChatGPTやイラストAIのようなものを分けて、”今のAI”と呼ぶことにする

自分の漫画づくりにおいて驚異に感じる要素は正直言って無いのだけど、イラストAIやChatGPTを驚異のようにみる雰囲気はがあるのは感じている
(ちなみに、自分は必要に応じて漫画を作るのにも”今のAI”は活用する気でもいる)

この温度差は何だろう?

ChatGPTが出力する文には意思や意図は無い
オウムが人間の言葉を真似て返すのに似ている
複雑で心地のよい文章をそれらしく返す点では高度だが、本質は同じ

イラストAIもその方向性は同じではある

でもSNSを見渡してみると、「複雑で心地の良い」絵や文や漫画を大量にみる機会も多い
個人がアナリティクスと制作のフィードバックループ・大量の模倣対象を得ることによって似たようなクオリティの高いものを作れるようになる(商業も違いは無いかもっと先鋭的である)、そうするとデータセットが簡単に用意できる。”今のAI”に学習させるの容易になる
つまり、人間が「プログラムのように振る舞う」ことに近づくことでそのような作品が増え、結局”今のAI”がそれらをごっそり「模倣」したのが今の状況だと考える
そのような制作者にとっては”今のAI”は驚異だ

少し前の時代、制作者は「個性」を重んじていた
他の人と違うことにこだわっていたし、こだわるようしむけられもしていた
今は全く逆に「数字優先」であり、アナリティクスを元に模倣しあうようにしている
同じようなものが溢れかえり、同じような人が集まってお祭りをする

“今のAI”にとって一番面倒なのはデータである

データを集めるのもそれを食わせるために加工してデータセットを作るのも手間がかかる
コストは殆どはそこにかかっている。だから、データセット作りが容易な状況になった時が、”今のAI”の勝利する時だ

自分はSNSの流れに積極的に乗ってこなかったので”今のAI”を怖く感じてないのだと思う
(これはこれでしんどい面もあるのだけど、幸いにしてまぁまぁ上手く回ってくれてる)

これから先、状況は何か変わるだろうか?
「人間がプログラムのように振る舞う」流れがひとまず変わっていって欲しいというのが本音だけど、それについて書くのはまた別の機会に

FANBOX定例報告について

現状の活動の基点となっているFANBOXの定例報告について、何故これをするように決めたか、詳しく書こうと思います

一つにはまず各作品の「制作理念」を明確するという点があります

理念は言ってしまえば限界の設定です
自分がこういうことをやりたいですよ、と同時にどこまでやれるよということの明言でもあります。何でもかんでもやれるようなふわっとしたことを書くこともできますが、実際にそういった姿勢に支援をする気になれるか信用できるかというとそれはないなと思います。
誤解覚悟で例えるとプログラムのメモリの領域確保にイメージが近いかもしれません

基本的に最初に作品を検討する際に決めてはいますが、ある程度連載形式で作り続けて行くと軌道修正は起きてきますので、定期的に明言するのは必要と思ったわけです

もう一つは支援金の使途です

youtuberがクラファンで集めたお金をよくわからない使い方をしたニュースが最近ありました

資金調達とか起業とかといった文化はまだ日本にはよく根ざしている状態にはありません。子供のおねだりや乞食と区別できない人もまだまだ多いと思います。またエロ系になると「援助」という言葉には別のニュアンスが含まれるケースもあります

マンガの制作のためのサブスク支援となると完全に切り分けて明確にするのは少し難しいかもしれませんが(ほぼ生活費の足しという状況がほとんどだと思います)、できるだけ共有するようにするべきと考えたわけです

ちょっとまだどういうフォーマットにするかは決めきれてないので徐々に詳細にしていく予定です

今後ともよろしくおねがいします

twitch 配信について考えてること

しばらく継続して配信を続けてきて、ツールの使い方から先のことについても考えています
まずは種類について

  • ラフ…アイデアのラフやある種の練習、そこそこ集中力は必要だけど、失敗してもあまり問題ないのでそこそこ気楽にやれる
  • 線画…時間はかかるけどデジタルならミスしても直せるし一番気楽、でも見てる方は線画の方が緊張感を感じるかも?自分としては、おしゃべりがしやすいとしたらこの時間か
  • 彩色…線画以上に楽だけど、だらっとしてしまいかねない、そうすると延々塗りが終わらなくなるのが怖い。自分としてはまり積極的にやらないかもしれない。まだちょっと様子見
  • ゲーム…自分が慣れてる、喋りやすいゲームのみ。civ系かメトロイドヴァニア系か。対戦ゲーム系は好きだけど幾らかのゲームコミュニティに誘われて時間を食われそうなので多分やらない。
  • R18…twitchではできないのでpixiv live限定。こっちはまぁ…色々面倒が多そうなので、メインにすることはないです多分。限定公開にするのでtwitterから告知

ダイジェストやyoutubeについて

放送内容を編集してダイジェストとして残したり、youtubeに上げたりするのについてはまだこれから研究、でも多分やる。ちょっとまだイメージが沸かないのでゲーム動画を編集するなどしてどんなことができるか検討しようかと。最終的には絵作業動画そのものを編集してエンタメ化するようなことをしたい。目指せボブ・ロス

「やるなら徹底的に」はどこまで通用するのだろう

興味が湧いたのでベルリン・オリンピックのDVDを観た
故淀川長治が冒頭で解説してる、「ナチスはやるなら徹底的にやるんですね、すごいですね、すごいですね」

…ん?

「やるなら徹底的に」…その精神の作品には、人を魅了する魔力が宿る

しかし、ベルリン・オリンピックの成功はナチスのその精神だけでなく金融家シャハトの力が大きい。つまり、それをやるだけのお金があった
お金がなくて、ナチスの大事業は成り立っただろうか?

「やるなら徹底的に、ただし、お金は出さない」

そんな空気は、漫画家やアシスタント、志望者、アニメーター、イラストレーター…アーチスト界隈には嫌というほど充満している。いや、他の業種でだってあちこちに散見される、いまでも。僕らの上の景気の良かった世代だけじゃなく、もっと下の世代にも

今はお金になっていないが、やるなら徹底的にやる、この精神で作って、成功すれば回収される
大丈夫だ、信じろ、「やるなら徹底的にやれ」の魔力を信じろ
そういう風にして破滅に進んでいく人も何人も見てきた

日本は明治維新期から大戦期までドイツに学んだところが多く、「やるなら徹底的に」精神を強く引き継いだところがあるように思える
だからいまでもそういった精神の影響が続いてるのではないだろうか
ただし、景気の良かった頃はともかく、今はお金の方はさっぱり無くなったようだが

2010年くらいから、ポピュリズムが台頭してきた
冷静にみれば、大勢集まってのただのから騒ぎではある
どんなに囃し立てられても、良くないものが良いモノになるわけはない
直感的にもそれはすぐわかる

「○○○がSNSで話題だから読んだ、そんなに面白いとは思わないけど、みんな読んでるみたいだから」

最近よくみかける、話題作の感想、斜に構えてるわけじゃなさそうだ
こうなってきたのは、「やるなら徹底的に、ただしお金は出さない」の空気から、皆がいいかげん距離を置きたがっているからなのかも

実況配信と配信者キャバ嬢問題

twitch を基点にだいぶ生放送配信にも慣れてきました
そのため、ちょっと考えていることをまとめておきます

だいぶ前にも配信はしていたことはあったのですが、そのときは割とすぐにやめてしまっていました。配信には注意が必要な点があるからです

実感として一番厄介なのが、自分が「配信者キャバ嬢問題」と呼んでいるものです

これは自分でも経験があるし、他の配信者でもちょこちょこと見かけるものです
例にとって解説します

生放送配信サイトxxxliveに、配信絵配信をしている配信者A氏がいるとします
そこに視聴者X氏がやってきます
X氏は全くイラストとも関係のない野球の話題を振り、配信者Aは野球に詳しくなく気を使って相槌をうっています。A氏が別の話題を振るとX氏は配信を閉じて別の配信者B氏のところへ移っていきます
きっとウチとは合わなかったのだろう、と思ったA氏ですが、また別の日に配信をするとX氏はやってきます。X氏は無関係なゲーム制作の話題を話しています
やはりA氏は気を使って返事をしています。やがてX氏はだんだん増長し、A氏に無茶ぶりをしたり恫喝をするようになります
A氏は視聴者数やフォロワー数を増やしたいので耐えていましたがだんだん耐えられなくなっていきます。どこかのブログで書いてあった記事を参考に長時間配信していましたが苦痛になってきます
そしてA氏は気づきます。X氏は自分の作品にも興味がなければ、自分の価値観や世界観にも興味はなく、ただ「話を聞いてほしい」だけだと

愛想よくお客さんの話を聞いたり相槌をうったりする仕事としてはキャバ嬢があります
本職のキャバ嬢ならお金をもらっていますから分かりますが、実況配信者はそうではありません。(収益化できるほど視聴者がいれば話は違ってきますが、その場合一人のお客さんを相手に話を聞いてあげることは難しいでしょう)
例にあるX氏にとってはxxxliveは無料のキャバクラであり、それも都合よくキャバ嬢をとっかえひっかえできる環境と化しているわけです

これが「配信者キャバ嬢」問題です
X氏と普通にA氏に関心をもって見ている人とが区別がつきにくいこと
古い配信サイトは、X氏にとって遷移しやすいサイト構造をしていること
とりわけX氏は視聴者の少ない配信に現れるため、’これから’視聴者を増やしたい配信者ほど出くわす確率があがること、特に宣伝効果に期待してるイラスレーター・漫画家は出くわす確率が高い
この問題の難しいのはX氏が一度居着くと対処が難しいこと。特に匿名コメントが可能なサイトではブロックも効果が出づらい

実際にX氏のような人は全体の視聴者の中ではごくわずかだと思います
また視聴者数が増えるとX氏のような人は自分の話を聞いてもらえないので来なくなる
勿論全く愛想悪くしていると逆に誰も来なくなるので配信する意味も失われていきます

視聴者数が少ない段階、もしくはコメントの少ない状態で「キャバ嬢化しない」よう気をつけないといけない、というのはスタートラインにあってもっとも難しい問題のように思います

twitch配信

年始から毎週週末を中心にtwitchで絵作業配信をやっています
だいぶ慣れてきたのと安定運用するつもりなのでblogにまとめることにしました

https://www.twitch.tv/kuromook

週末土日に2日、2時間ずつくらいラフ絵作業をやっています
最終的に作画に使用するもの、アイデアをただ出すためのもの、単なる模写練習

長時間やるようにしないのは一つにだらけてしまうことと、意外と録画視聴が多いからです
ゲームでは録画視聴する人は少ないようですが、絵だと多い
実際リアタイしてライブ感覚したいならゲームの方がいいですしね、絵配信はBGMにする人が多いのかと
将来的には線画や塗り作業もやるつもりですが、その場合短時間は難しいかな

エロ関係はtwitchではできないのでpixiv live でやりますがあくまで補助的です
配信サイトの雰囲気とユーザ層からtwitchの方が中心