自分は機械学習に基礎をおく今のAIをAI(人工知能)と呼ぶのは好きではない
およそ「知能」と呼ぶには相応しくないと思っている
なのでChatGPTやイラストAIのようなものを分けて、”今のAI”と呼ぶことにする
自分の漫画づくりにおいて驚異に感じる要素は正直言って無いのだけど、イラストAIやChatGPTを驚異のようにみる雰囲気はがあるのは感じている
(ちなみに、自分は必要に応じて漫画を作るのにも”今のAI”は活用する気でもいる)
この温度差は何だろう?
ChatGPTが出力する文には意思や意図は無い
オウムが人間の言葉を真似て返すのに似ている
複雑で心地のよい文章をそれらしく返す点では高度だが、本質は同じ
イラストAIもその方向性は同じではある
でもSNSを見渡してみると、「複雑で心地の良い」絵や文や漫画を大量にみる機会も多い
個人がアナリティクスと制作のフィードバックループ・大量の模倣対象を得ることによって似たようなクオリティの高いものを作れるようになる(商業も違いは無いかもっと先鋭的である)、そうするとデータセットが簡単に用意できる。”今のAI”に学習させるの容易になる
つまり、人間が「プログラムのように振る舞う」ことに近づくことでそのような作品が増え、結局”今のAI”がそれらをごっそり「模倣」したのが今の状況だと考える
そのような制作者にとっては”今のAI”は驚異だ
少し前の時代、制作者は「個性」を重んじていた
他の人と違うことにこだわっていたし、こだわるようしむけられもしていた
今は全く逆に「数字優先」であり、アナリティクスを元に模倣しあうようにしている
同じようなものが溢れかえり、同じような人が集まってお祭りをする
“今のAI”にとって一番面倒なのはデータである
データを集めるのもそれを食わせるために加工してデータセットを作るのも手間がかかる
コストは殆どはそこにかかっている。だから、データセット作りが容易な状況になった時が、”今のAI”の勝利する時だ
自分はSNSの流れに積極的に乗ってこなかったので”今のAI”を怖く感じてないのだと思う
(これはこれでしんどい面もあるのだけど、幸いにしてまぁまぁ上手く回ってくれてる)
これから先、状況は何か変わるだろうか?
「人間がプログラムのように振る舞う」流れがひとまず変わっていって欲しいというのが本音だけど、それについて書くのはまた別の機会に