2020年の即売会

おそらく年内は、都内では大きな規模のものは開催されなそうな同人誌即売会

現状はコミッションとFANBOXがその代替として動いてってる感じです

元々はFANBOXは支援に加え、擬似的にサブスク購読可能な状態を作ろうとしていたところがありますが、即売会が自粛してるため同人制作作品を提供する場になりかわっていきそうな思いがあります
(単品DL販売もありますがギャンブル性が高いため、積極的に利用する意思はありません)

FANBOXでの作品提供は、東方一般向け漫画が(6-8Pを)月3回、オリジナル作の「憧れの女」漫画が(8-12P)月1回とちょっとずつ増やしていっています。これらはまとまり次第本に出していきますが、即売会がないのですね。即売会がないと委託もあまり盛り上がらないのかな、という気がしていてうーんどうしたものか、という感触

一方のコミッションは活発な印象はあり、ひょっとしたらこれはこれでイベントの代替の感覚で皆に使われているのかもしれない、と思うことがあります
言葉のやり取りのある依頼は、即売会で列をなして本を買うよりも、密なコミュニケーションが楽しい感じなのかも

ひとまず、同人作品についてはFANBOXのほうを、一つお願いします

今のWEBについて考えること

前回と前々回のブログ記事では、すこしWEBに対して冷たい内容を書いたとおもっています。それは今まで過熱気味だった期待に対して冷静になったことについても、自分の立場を示す意味で書いたつもりです。

しかし、必ずしもWEB分野で残念なことばかりでない潮流も起きてきてると実感があると思っています。

自分がWEBに残念だと思っていることの最たるものは所謂「フォロワー数」に期待する考え方です。広告収入が期待できるyoutubeのようなものなら、フォロワー数やPV数は直接収入と相関するので期待できますが、twitterやpixivなどのSNSでの漫画の公開はそうはいきません。

1フォロワーを増やす(RTやfavに期待する)
2フォロワー数を書店や編集者が期待する
3店頭に並べられたものやバナー広告で見た人が購入する
という「3段クルーン」を抜けていかなければならないのです。

1の段階だけではお金は回収できませんから、タダ働き状態を続けた結果資金が尽きて倒れる、という状況が起きてきてしまいます。RTでは支援にはならないのです、現実的には。大多数のひとがおそらくここで倒れています。

しかし、一定のユーザや書店担当者からすれば、「とりあえず数字だけをみていればいい」という判断ができることは「効率的」ではあります。出版不況下で、優秀な人材が書店や編集をやりたいと考える状況は難しくなってくるということを考えると、数字だけ見て判断できればよい、というフローが求められるというのは仕方ないところなのかもしれません。
ごく一部ではありますが、ランキング上位・壁サークル・フォロワー数の多い人の作品だけを消費していればいい、という思想の消費者の人が居ることも知っています(そういう人とは僕はあまり仲良くできないのですが)

僕自身、5年前くらいはこの思いに絶望していた時期もありました

そんななか、FANBOXのような支援やSKIMAなどの個人案件など「送金」を基点としたシステムがライトを浴びるようになったのは何故だろうか、考えていました。

結局これは、「取引」の再構築なのだと考えています

例えば、「水」に関する取引について考えてみます
水の豊かな地域から水不足の村に向けて水を売りに行く商人がいるとします
商人は水源の主から水を買い、バケツで運んで行き、村人に水を売ります
やがて商人は水を馬や車を入手して、運んで効率化するようになります
馬や車のコスト以上に水が売れれば儲けになります
今度は商人は資金を調達して水道を建設します
商人は水を運んでいたときよりもっと大きな稼ぎを得ることになります

これはつまり商売のアップデートの歴史(ヒストリー)です

残念なことに、必ずしもアップデートは、生産者と商人と消費者の全員が幸せになるように進んでいくとは限りません
大きな商売はときに商人の権利の巨大化を生み、腐敗することがあります
つまり「悪いアップデート」です
商人が不合理なほどに水の値段を高騰させ、水源の主からは安く買い叩く、という形で利益をふやそうと「取引をアップデート」する、といったもの
(富裕な土地所有貴族と貧しい農奴の関係はほんの100年前の時代にも見受けられます)

その場合に村人や水源の主は、最初の「バケツの取引」にヒストリーを戻すことは可能でしょうか?

支援や個人案件で起きていることは漫画やイラストの取引を「バケツの取引」にまでヒストリーを戻して、やり直していくことなのだろうと僕は考えています。

個人案件や支援のシステムを作っている人たちもまた、WEBの人たちです
僕自身は、巨大な利益を目指すスキームを掲げて資金を集めてWEBの事業を始めて転んだ人たちを知っています。彼らは「水道」を作ろうとしていました。遥か高みの世界だけをめざしていましたが、生産者や消費者の気持ちはあまり考えていなかったようにみえました。

一方で、「バケツの取引」のWEBサービスで成果をあげている人も知っています。(漫画やイラストに関するものでないのが残念ですが)
彼はたったひとりでプログラミングも未経験から4月ほどのスキルだけの持ち主でした。流行りのAIやブロックチェーンやWEBフレームワークになどにも関心を持たず、取引の本質に集中しているようでした。最近の技術、という意味ではクラウドプラットフォームと送金は使っている、というところでしょうか

WEBについて、足元を見ない人たちには僕は悲観的ですが、こういった人たちには強く期待もしています

絵描きの競争意識

SNSのことと関連して、この頃考えることの一つが絵描きの「競争意識」

何かというと順位を気にし、フォロワー数とか売上数とか、RT数とかを気にし、人より多いとか少ないとかで一喜一憂する。あるいは、競争を煽ってくる人たちや優劣の意識に病んでいる人に対し、何と言葉を返してやればよいか?、ということについて。多分、多くの絵描きが気に病み、下手をすれば精神を病ませている問題だと思う

「天の時、地の利、人の和」という孟子の言葉がある

これに個人の力量やスキルを「個の力」と呼ぶなら、絵かきを続けていくに優先すべきは、
人の和が1番で、二番目は天の時、個の力は最後だろうというのは確信がある

しかし、実感は、
個の力を鍛えることが最優先で、ついで地の利(環境の有利を活かす、人気ジャンルに乗る、とか)に傾倒している人が圧倒的に多い

何故こんなことになっているのだろう?

一つには、WEBサイトをそういった作りにして競争を煽ろうとしている、ということ。出版編集者や読者、或いは経営者とても競争を煽っておけば「勝手に」良いものが出来上がってくる、と横着に考えている人たちが結構いるからでもあると思う。
絵かきが「孤高」なものだと考えてるからかもしれないし、ほとんど意味もなく「平等」を好んでいるからかもしれない。或いはそもそも、作りたい「価値」というものが無いのかもしれない

しかし、人の美意識というのはそれぞれで、ルールの統一した競技場がそこにあるというわけではなく、公正なスポーツに似せるというわけにはどうしてもいかない

基本的に僕自身は、そういった「競争」は無視する立場である

自分の作品作り上はひとまずそれで良いとして、もう一つ別の問題がある

競争意識に心を病んでいる人たちに、どんな言葉をかけてあげれば良いのか?

正直言って、「つける手はない」という思いが強い
絵を描くより人に勝つのが好きな人達、人を喜ばせるより道具を使っていることそのものが気持ちいい人達、価値観を育てたり尊重できない人たち、そういった人たちが「人の和」を乱すように振る舞い始めた時にどうすればよいのか?、という問題。
彼らは快楽的・個人的で、会話も通じない、勝っているときには優越感にひたり場を乱し、負けているときは劣等感に酔って場を乱す

振り返ってみると、そういった人を集団から追い出すか、それができなそうなら自分が出ていくか、理想を言えば初見で「どちらか見極めて」距離をとるか、しか手はなかったし、今もそれは変わらないのだけれど、危険な人をあまりにも多く見かける気がしてどうしたものか‥、と再び考え始めている

SNSとの付き合い方

いまとなっては使うべくして使ってるtwitter。
自分としては、こう考えて付き合っている、ってところを書いておこうと思い、書くことにしました。

自分が信じていないSNSに対する知見
+ フォロワーを増やせば本が売れる
+ NG (ミュートやブロック)はしてはいけない
+ アカウントと活動クラスタはひとつに絞る

色々と考え方はあると思います。ポジショントーク半分で無責任にコンサルトークしてる人もいると思います(「こうやればフォロワーが増える!」といった記事を書いてるブロガーとか)。
が、敢えて言います。自分はこのあたりのことは信用してないです。

WEBのバックエンドにあるものは基本的にデータベースであり、ユーザーが欲しいデータを「必要最小限」返すのが本来のあり方です。しかし、実際はいろんなノイズが混じるようになっています。ECサイトは少しマシですが、SNSはわざと要らない情報が混じるように仕向けているところがあるのです。そのほうが「たくさんデータがあって、盛り上がってるようにみえる」から。

そのため、twitterをはじめとした諸々のSNSはレスポンスから要らないものを除外する機能は不十分に作られています。除外(exclude)と名付ければいいところを、あえて妨害(block)とか消音(mute)といった風に名付けているので、NGを使う側も、あたかも「それはしては気まずいことなのでは?」、と思わせるようにしむけている面もあると思います。

データベースからのレスポンスがノイズ混じりで膨大だと、その中から「自分がほしい」情報を探すのに苦しくなります。そしてだんだん、頭がぼんやりしてきて中毒気味になっていきます。そうして、サイトの「滞在時間」は伸びます

自身がやりたいと思っていた創作の活動そのものも低下していく、という状況になるのは応援してくれている人に対しては裏切りではないでしょうか

なので、まず第一にはNG機能は気にせずに使うようにしています。
気に入っている人でも、今は耳を傾ける余裕がないのでミュートすることもあると考えています。もちろん、危険思想な人や自分にとっては害がある人ならブロックもためらわないです。そしてなりにより、誤認してブロックしてしまったとしても、「メールがうっかり迷惑メールフォルダに入れられた」ようなものだと考えています。

NG行為を否定しない理由はこういったところです

創作活動をしてる人なら、そんなことをしていたらフォローもRTもしてくれないし宣伝にならないじゃないか、と言う人もいると思います。

しかし、書店の人の話を聞くに、フォロワーやfav数と売上にはほとんど相関がないことわかっています。

それでも敢えて、「販促する気はないのでSNSで自分で宣伝してね」という編集者や、「あてにならないのは分かっているがフォロワー数に従って発注を多めにする、売れなかったら返本すればいいだけ」という姿勢の書店の人もいるようです。

僕自身はこういった方達を信用しません。
彼らの言葉を信じて、仮に当たったとしても、単に確率の低いギャンブルが当たったに過ぎないと考えています。
なにより、全ての人がそういう姿勢でないこともわかってもいますので信頼できる人と組むことを優先するだけです。

フォロワー数を信じていない理由はこのようなところです

発言の内容を活動クラスタに絞るのは、先に書いたデータベースの不便を発信者側が埋め合わせするものだと考えます。つまり、彼らが必要としない情報は発信しない。無節操に範囲を広げるべきだとは思いませんが、政治的発言を控える、とか趣味の話をしないとかいったレベルでフォローしてる側に気を使うというのはさすがに行き過ぎだと考えます。

そこまで気をつかうのは、イベント会場のような場所だけでいいだろうと言うのが自分の考え方です

性癖、商業と個人案件

性癖というは基本的に100人いれば100種はあると言えるくらい、個人間でばらばらなものだと考えています

一方で100人が100人、「いいね」と言う様なメジャーなものもあります

そう考えると、商業のエロってなんだったのだろうか?、と最近考えていました

個人の案件は明確です。1万とか2万とか払って、自分のためのニッチな性癖を満たしてもらう、1枚の絵に

これが商業の、となると1万部くらい刷って1万人の性癖を満たす。一人が払うお金は200Pの漫画に、1000円支払い、作家の手元には印税と原稿料200P分程、1Pの原稿はいくらになるか…、まぁ金額の話はひとまず置いておきます

前者は「100人に一人」のニッチ性癖、後者は「100人が100人」のメジャー性癖

ITの発展で送金システムが普及したおかげで「100人に一人」の方が伸びてきた、と考えています。

メリットは多くあります。
回収失敗する可能性が低いこと、中間業者の不正に遭う可能性が低いこと、買い手の要求がよく伝わってくると言うこと、etc…

また、メジャー性癖の担い手は総じて画力で戦っている人がほとんどという傾向もあります。10年前くらいなら一般商業のクオリティの高い作画のアシスタント経験者・漫画化志望者が、それだけで食えなくてエロに流れてきたパターン。最近でなら、ソシャゲバブルがはじけて、イラストだけで食えなくなったイラストレーター。

要するに他所で作画技術と画力を鍛えてきた人が、「100人が100人の性癖」を勉強して作る、という流れが一つのパターンになっていると考えています。これが逆に、メジャー性癖を戦いたいので画力を鍛えよう、とはなかなかモチベの上がる話ではない様に思います

個人案件は、エロは好きだが画力にコミットしたいわけではないとかキャリアに残したくない人には良い選択だと考えています

緊急事態宣言

出ましたね…

1ヶ月

内容的には、自分の生活はあまり変わりなさそうですが

長引いたらまた違ったかもしれませんがとりあえず一月の間は、あまり変わらず過ごしそうです。

とりあえず、FANBOXを基点としての同人誌作り、憧れの女と裏社会はそのままのペースになりそうです。過去作再掲は、暇な人も増えると想定して1ヶ月の間少しペース上げて増やします

SKIMAの個人案件は流石に減るかなぁ…

普段だったらやれない古典的なこととか勉強しなおしたくて、統計学とかやろうと思ってます。さらに時間があるなら他も何か。今風の技術に追いつけ的なことは、今はいいかな、世の中が停滞しているわけですしね

あと、次の作品の準備も

近況など

コロナ騒ぎで本当先々のことを考えるのが難しいこの頃です

今年は即売会などに力を入れようと考えていた矢先だっただけに

そういうこともあって、ひとまずはFANBOXと個人案件での活動ということになっていきそうです

即売会は半年か、下手をすると1年向こうまで不透明な感じで、今は一旦そちらのことは考えない方向でいます。同人誌は委託販売のものは準備するように考えています。ちょっとマイペースな感じになりそうですが

個人活動ばかりにしたくないな、とも思っているので、これから商業誌仕事として何か持ち込むか、別の方向の仕事をやるか、がひとまずの課題ではあります

コロナウィルスの影響を受けて・例大祭辞退

政府方針発表もあり、世界的な流行のフェイズに入ったこともあり日増しに存在感が強くなってきました

春の静岡ツインメッセで行われる例大祭については参加辞退を連絡を入れました

今年はイベント大事にしていこうと考えていた矢先なので残念ではあるのですが、収束の見込みも見えず、今から考えて3月下旬はかなり微妙な日程だったので(ワンチャンあるかも、とは思いましたが)参加辞退ということにしました

4・5月以降がどうなっているかもまだ分かりませんが、今はひとまずネットに腰を据えたバーチャルな活動をする時期ということにします
FANBOXを通じての作品提供、SKIMAを中心とした個人案件活動は今まで通り
武蔵野プレイスでの絵会は3月は中止にしましたが、回数など調整していくつもりです

加えて何かできないかな、と考えています

学びの計画

最近考えてることが何かを勉強することの「計画」立て

絵や漫画に限らず、いろんなアイデアや新しい技術が提供され続けていて、学びの効率も上がっているとはいえ、簡単じゃないな、と思ってもいます

僕自身は学びの場、個人やe-learning じゃなく複数人での教室みたいな場所は人のつながりを作る場でもあると思っていて、そうするとその教室にいる時間は学ぶことだけに使えない、と言うことになります

また、「成り行きで勉強」しないってことも大事だと思う
SNSのタイムラインを眺めていると、これも学ばなきゃ、あれも学ばなきゃ取り残されてしまう、みたいな感じることがあるのですが、そう言うのに引っ掛かるとあっという間にリソースが足りなくなってしまう
とっさに取捨選択の判断するのも、経験の浅い領域にあっては難しい

予習とか復習というものも、義務教育科課程の教室ではそこまでありがたみがないと思っていましたが、勉強の計画では重要なことになってくる気がします

勉強の計画を立てる、としたらどういったことが必要なんだろう?と