twitterから距離を置く姿勢

twitterからの離脱プロセスは漸次進めていて、そろそろ自分の考えを書いておくことにします

twitterとの付き合い

twitterの使い始めは震災の前のころからだったと思います(記憶が曖昧ですが)
スマホは結構早い時期から使い始めていて(iphone3GSとかandroid2.2くらいの時代)、アカウントもその頃に作ったと思います
mixiあたりのSNSが肌にあわなかったので、SNSには積極的ではありませんでした

震災の頃にtwitterが活躍したこともあって、その後スマホが爆発的に普及しSNSの利用が注目されていき、自分もここで露出を増やさないと…と動いた時期もありました

しかし、いくら投下してもフォロワーを増やしても特に作品の売上に寄与する様子もなく、また当時話をしていた書店の人も本の売上とソーシャルアナリティクスが相関しないことを認めていました

以降はtwitterで積極的に何かするということはなくなり、ほぼ開店休業状態のまま5年位過ごしてきたと思います

WEBプラットフォームを使う上での哲学

SNS上での活動は意味がないのでしょうか
上手くやっている人がいる一方で、そうでない人がいるのでしょうか
当時から、企業がSNSへの広告宣伝費を控える話題も尽きることはなく続いてきました

自分の作品力に自信を無くしかけている頃に、明確な答えが見つかる機会がやってきました

SKIMAでの個人依頼が爆発的に増えたのです

その時になってようやっとはっきりと確信を持てる論理が見えてきました

WEBプラットフォームにおいて、「伸びる・伸びない」の因果を確証を持って知ることはできない

因果が存在しないわけではありません。しかしそれを知るにはWEBのバックエンドでどんなアルゴリズムが動いているのかを知り、人の心理をひも解ける必要がある…それはあまり現実的ではありません
twitterのシャドウバンのような怪しげな内部の仕組みは公開されないことのほうが普通でしょう、或いは珍妙な実装が残されていて開発者ですら気づいていない奇妙な振る舞いが放ったらかしになっているケースもありえます
人の心理もバイアスにエコーチャンバーまみれで、本音で言っているのかハッタリか、思い込みかを近しい関係でない相手から確信をもって知ることはとても難しいものです
加えて政治的なSNS工作、情報商材屋、怪しげな自称コンサル、そもそも特に意図もないBOT…

うまくいったと感じている人は、上手く行った結果の上に自分なりに理由を編み出して安心し、上手く行かなかった人は同様にうまく行かなかった理由を編み出し、いずれにしてもそれが真の解と一致する可能性は低い
時代の変化がやってきたとき、この「理由」は役に立たないか重荷になる可能性が高い

仮に「絵を上手くなるには沢山ラフに描いたほうがいいのか?丁寧に少数こなす方が良いか?」「危険な会社はすぐやめたほうが良いのか?1年はいたほうがいいのか?」という問いがtwitterのような場所であったとき、バイアスやエコーチャンバーにまみれてない回答に出会うことが可能だとも思えません
確信もって言えることは「正解は存在するかもしれないが、ここでは出会えない」ということだけです

そうして、どのように行動するべきかの哲学を得ました

WEBプラットフォーム上の活動をしていて何かアンダーパフォームしている感触があり、因果がすぐに見えないようなら、撤退は早い方が良い。説得力のある理由は不要

この考えの下、dlsite・twitter から距離を置いてきました
使えるリソースが増えることも重要ですが、精神的にも良い
そして実際、経済的にも順調です

各SNSへの引っ越しの状況

すぐにtwitterのアカウントを消して去っていく、というようなドラスティックなことはしないつもりです

自分の場合、テクノロジーの話題はnostrへ、国際時事・政治の話題はpostへ、作品を観たり読んだりの話題はblueskyへ、と”部分的に別の物件に引っ越し”を進めて行っています

最終的にtwitterには自分の作品に関する通知と(国内)政治についてのつぶやきだけが残るだけになるかもしれません、このままtwitterに良い変化がなければ