基本的に作品を作る際に重要とぼくが考えている要素の2つが、価値観と順位です
価値観というのは、何が好きか、何故好きか、というもので結局のところ作品を作るということはそれを表現することに他ならないのです
常に、見たり聞いたり、読んだりあるいは体験したりして価値を集め、それを構成していくのが作品作りだということです
価値観は千差万別なので、それ自体に正解というのは無いのですが、「自分に嘘をつく」ということだけは禁止事項だと思ってもいます。嘘をついては、何を作っているのかさっぱりわからなくなるからです
とはいえ、この価値観というのは直接的に金銭や作業量といった数値に置き換えて管理することが殆ど不可能なものです
そのため、ある程度の信頼できる数値的指標として順位を意識することになります
相対的な指標ですからこれを信じていればいい、上がればいいというものとは考えてなく、僕はこれを「余裕をみるため」のものとして考えています
例えば、書きながら生活をしていくためにはお金について意識せざるをえませんが、1枚の原稿に何時間かけたら良いのか?といった解や、何日おきに何枚くらい描きあげればよいのか?、といった指針を立てるために参考にしてみています。(これくらいの順位にいるグループはこれくらいのクオリティで作っているようだ、とか)
また、ときには生産性を改善するためにあれこれ仕込むのに使う時間の捻出する際に、ある程度の順位を維持し続けられる範囲でやる、という計算をおこなうこともあります
価値観と順位のどちらが大事になるかという疑問に対しては、順位は価値観より優先するものにはならない、あくまで優先するのは価値観、というのがぼくの持論です
一方で気をつけなければならない罠、と考えているのが行動経済学です
例えば映画を観に行こうと考える際に、「自分にとって好きな映画がわからない…」と決められない人がいるとします
そういった人が「とりあえず皆が観に行っている映画を観に行っておけば間違いない」と判断することは往々にしてあります
大勢が集まっているところに、とりあえず集まっていく、というのはリスクを避ける意味ではそれなりに正しそうです。しかし、大量の資金のもと広告宣伝をかけたりサクラを用意したりしてブームを醸成される場合、言いかえればお金でブームが作れた場合、この行動経済学的ふるまいはその人の価値観にとって正解と言えるかは疑問です
純粋に、自然発生的に人気が出た作品に資金が集まっていった場合にはそれは本物と言えそうです。しかし、胡散臭いケースもあるので気をつけなければならない
「フォロワーが多いからその政治家の政策は正しい」と言える人は流石に少ないでしょう。しかし奇妙なことに、「ランキングのトップだから良い映画だ」と言う人は結構いるものです