今のWEBについて考えること

前回と前々回のブログ記事では、すこしWEBに対して冷たい内容を書いたとおもっています。それは今まで過熱気味だった期待に対して冷静になったことについても、自分の立場を示す意味で書いたつもりです。

しかし、必ずしもWEB分野で残念なことばかりでない潮流も起きてきてると実感があると思っています。

自分がWEBに残念だと思っていることの最たるものは所謂「フォロワー数」に期待する考え方です。広告収入が期待できるyoutubeのようなものなら、フォロワー数やPV数は直接収入と相関するので期待できますが、twitterやpixivなどのSNSでの漫画の公開はそうはいきません。

1フォロワーを増やす(RTやfavに期待する)
2フォロワー数を書店や編集者が期待する
3店頭に並べられたものやバナー広告で見た人が購入する
という「3段クルーン」を抜けていかなければならないのです。

1の段階だけではお金は回収できませんから、タダ働き状態を続けた結果資金が尽きて倒れる、という状況が起きてきてしまいます。RTでは支援にはならないのです、現実的には。大多数のひとがおそらくここで倒れています。

しかし、一定のユーザや書店担当者からすれば、「とりあえず数字だけをみていればいい」という判断ができることは「効率的」ではあります。出版不況下で、優秀な人材が書店や編集をやりたいと考える状況は難しくなってくるということを考えると、数字だけ見て判断できればよい、というフローが求められるというのは仕方ないところなのかもしれません。
ごく一部ではありますが、ランキング上位・壁サークル・フォロワー数の多い人の作品だけを消費していればいい、という思想の消費者の人が居ることも知っています(そういう人とは僕はあまり仲良くできないのですが)

僕自身、5年前くらいはこの思いに絶望していた時期もありました

そんななか、FANBOXのような支援やSKIMAなどの個人案件など「送金」を基点としたシステムがライトを浴びるようになったのは何故だろうか、考えていました。

結局これは、「取引」の再構築なのだと考えています

例えば、「水」に関する取引について考えてみます
水の豊かな地域から水不足の村に向けて水を売りに行く商人がいるとします
商人は水源の主から水を買い、バケツで運んで行き、村人に水を売ります
やがて商人は水を馬や車を入手して、運んで効率化するようになります
馬や車のコスト以上に水が売れれば儲けになります
今度は商人は資金を調達して水道を建設します
商人は水を運んでいたときよりもっと大きな稼ぎを得ることになります

これはつまり商売のアップデートの歴史(ヒストリー)です

残念なことに、必ずしもアップデートは、生産者と商人と消費者の全員が幸せになるように進んでいくとは限りません
大きな商売はときに商人の権利の巨大化を生み、腐敗することがあります
つまり「悪いアップデート」です
商人が不合理なほどに水の値段を高騰させ、水源の主からは安く買い叩く、という形で利益をふやそうと「取引をアップデート」する、といったもの
(富裕な土地所有貴族と貧しい農奴の関係はほんの100年前の時代にも見受けられます)

その場合に村人や水源の主は、最初の「バケツの取引」にヒストリーを戻すことは可能でしょうか?

支援や個人案件で起きていることは漫画やイラストの取引を「バケツの取引」にまでヒストリーを戻して、やり直していくことなのだろうと僕は考えています。

個人案件や支援のシステムを作っている人たちもまた、WEBの人たちです
僕自身は、巨大な利益を目指すスキームを掲げて資金を集めてWEBの事業を始めて転んだ人たちを知っています。彼らは「水道」を作ろうとしていました。遥か高みの世界だけをめざしていましたが、生産者や消費者の気持ちはあまり考えていなかったようにみえました。

一方で、「バケツの取引」のWEBサービスで成果をあげている人も知っています。(漫画やイラストに関するものでないのが残念ですが)
彼はたったひとりでプログラミングも未経験から4月ほどのスキルだけの持ち主でした。流行りのAIやブロックチェーンやWEBフレームワークになどにも関心を持たず、取引の本質に集中しているようでした。最近の技術、という意味ではクラウドプラットフォームと送金は使っている、というところでしょうか

WEBについて、足元を見ない人たちには僕は悲観的ですが、こういった人たちには強く期待もしています