連載時の反応は良かったようで編集さんもそのことを伝えてきたりしていました
当時はわからなかったのですが、編集者というのは調子が良ければあれこれ喋ってきますが
そうでなければ、何も言ってこないか、仲が悪くなるもののようです
自分は良いときでも悪いときでも、改善はあるべきだしそれがよいパートナーシップなのでは、と考えていました
リテイクは作品をよくするのに必然、とか、直したのだから良くなるのは当然、とか
そのためには正しい知見が必要、とか
最初に読者の目となって言葉を発してくれるのは編集者しかいないのだから、とか
これが大きな誤認と気づくのはずっと先のことなのですが、当時はそのことでナーバスになっていたと実感はあります
アレコレ注文つけてもつけなくても、実のところあまり変わらないのですね
出版社はある種の投資家みたいなもので、お金を出すかどうか決めるだけ、そのための説得力のあるものを用意して
説得したらあとは作品をつくるだけだ、と
アレコレ言葉をやりあう部分の殆どは、改善というよりは政治的な意味合いのほうが大きい
言葉のやり取り次第で、上下関係やそのひとの出世に影響しうる
でも当時の自分はそのことを意識しておらず、憧れの女の単行本を出す際に生じたリテイクの結果
表紙はむしろ悪いものになり、(アンケートは結構良かったのにもかかわらず)売上が出なかったのでした
残念な結果に終わった、と感じていましたが
直感とか即売会で声をかけてくれていた読者の言葉から感じていた肌感覚で、これはこのまま終わらせては
いけないのではないか、とも思っていました